修煉とは高齢者か浮世を見限った失意の人がするものというのが一般の観念であり、もし病気治療や健康保持の目的でなければ、誰が気功を学ぶだろうかと、修煉する前の沈さんも感じていました。
医師は台湾でも人々が敬愛する社会的地位と収入を持ち、上流階級に名を連ねます。沈錕進さんは誰もがみなほめたたえる歯科医で、自分の診療所を持ち、妻は賢明で有能で、子供も賢く、幸せに満ちた家庭で、心地よい人生にあふれていました。しかし人々がうらやましがる「沈医師」は、妻に「沈さん」の愛称で呼ばれていましたが、その性格と言動は家族に受け入れられず、沈さんは「以前の私は性格が悪く、子供に厳しく、すぐに怒り、子供がルール違反をすればきびしく追及したので、彼らは私を恐れていました」と語りました。3 人の子供は沈さんの声を聴くと足がすくみ、親子の会話や団欒などは言うまでもありませんでした。
1997 年~1998 年の春までの間に、妻・瑞蘭さんが法輪功を学んで心身が大きく改善されたため、医師の沈さんも深く感動して法輪大法の修煉を始め、日常生活を心から反省し、さらに性格を少しずつ変えていきました。娘の目には「秦の始皇帝のような暴君がサンタクロースになった」かのように映り、日常生活や人生に対する態度、また周囲の人々に対する印象も変りました。それまでとは別人のようになった性格と人生観に、人々は驚きを隠せず、同時に「真・善・忍」の真理の根底にあるエネルギーと超常性を讃嘆しました。
沈さんはこのように一生を過ごすのだと思っており、中年に差し掛かったとき、自分は身体が強いと自認しており、妻が学んでいることを運動だとみており、興味を持ちませんでした。1997 年 11 月末、瑞蘭さんは友人の紹介で法輪功を修煉し始めました。最初のころ、沈さんはいつも通りに傍観的な態度を取り、もともと修煉など信じていなかったのですが、修煉後に妻の心身が明らかに変わるのを見て、好奇心から法輪功のことを調べ始め、数カ月後には一緒に大法を修煉していました。煉功し、日ごとに深く法を学ぶにつれ、法理に対する認識と心性が絶えず向上し、すぐに酒やたばこをやめ、マージャンもやめ、生活上の言動にも信じがたい変化が現れました。瑞蘭さんは「いつから始まったのかはっきり覚えていませんが、ある日仕事から帰ると、台所の食器がきれいに洗ってあり、しばらくすると、米がきちんと研がれており、またしばらくすると、ご飯が炊けており、さらにしばらくすると、野菜をきれいに洗って鍋の中に入れてあり、私が仕事から帰ると、暖かいご飯とおかずがすでにテーブルに並べられ、みんなが食事を待っていました」と語りました。現在に至るまで、沈さんは自分から家族全員の食事を作り「男子厨房に入るべからず」という男性の観念の影響を受けず、いつも「家で料理をする男」と自称し、時には同修を呼んで家で手軽な食事を作り、修煉体験を交流しました。
沈さんは心性を守りその患者と争わず、表面上は「やり返さず」にいましたが、心の中は激しく乱れ、家に帰った後に妻と交流すると、瑞蘭さんは「まだ取り除かれていない執着があるかもしれないので、心の中を探しましょう」と注意しました。沈さんは法を学ぶ時間を増やして内に向けて探し、毎回自分が不満に思う心を取り除き、いわれなきもめごとに善意で対応しました。何回か診察するうちに、この患者は道理をわきまえず怒鳴り散らしたり要求することはなくなりましたが、沈さんの心はすでに乱れず、最終的に入れ歯を無償でこの患者に貸与し、実際には無料でサービスをしたのと同じでした。患者は喜んで借用書にサインしましたが、この時沈さんはすでに不満に思う心を完全に捨て去っており、その患者を恨んだり、怒ったりしないばかりか、心性を向上させる機会を与えてくれたと感じ、この患者に感謝したのです。
修煉する前の沈さんは飲み食いや、遊びを重ね、定期的にテニスで運動し、自分は若く健康で丈夫で病気や悩み事はないと、驕りたかぶっていました。ある時、筋肉に違和感を感じ、目の見えないマッサージ師に按摩をしてもらいながらおしゃべりしていると、マッサージ師は突然「ところで、いったいどれほどきつい業界で仕事をなさっているのですか。なぜ筋骨がこんなに緊張し固くなっているのでしょうか?」と尋ねました。その時、沈さんはまだ 38 歳だったのです。
法輪功を学んで数年経ったある日の午後、沈さんが風雨の中で診療所に戻ったとき、70 歳すぎの高齢の目の見えないおばあさんが診療所の前の椅子で長い間沈さんを待っていました。沈さんはすぐに扉を開け、おばあさんを支えながら診療所に入り、長いこと待たせたことを詫びると、おばあさんは「大丈夫です」と答え、おばあさんを連れてきた孫はちょうど 先ほど帰ったところだと言いました。家族は沈さんが忙しいことを知っており、別の医師の所に行くように勧めても、おばあさんは絶対に待つと言うので、家族は理解できませんでしたが、おばあさんは家族に「沈先生は信用できます」と言ったということでした。
それを聞いて沈さんは、笑いながら「もしかしたら、このあたりの医師の中で私が一番年上なので、信用できるのでしょう」と答えました。おばあさんは「そうではありません、沈先生がどんなに年上だといっても、40 歳ぐらいなのに、どうして一番年上なんですか」と言いました。沈さんが実際の年齢をおばあさんに伝えると、おばあさんは「普通の人は外見からその人の年齢を決めますが、私たち目が見えない者は心で相手を感じるのです。毎回治療する時の話し声や動作、それと、先ほど私を支えて入ってきた感触から、沈先生はまだ 40歳になっていないと思いました」と自分の感じたことを話しました。実は、沈さんはそのとき 52 歳でした。何の意図も持たずに大法の修煉を始めた沈さんは、その境地に従って心性が向上し、外観が若くなりおだやかで親しみやすくなりました。
出典:明慧ネット