私は1998年に法輪功を学び始めました。当時の私は、職場や、姑、夫からの酷い仕打ちに身も心もボロボロでした。そんな私には、幼い子供が4人いて、健康でいなければならないとの思いから、無料で教えてくれる法輪功を学び始めました。
学び続けていると、いつの間にか喘息が治り、アレルギーによる発作も起きなくなって薬の服用も止めました。
娘の入院
7年前に突然、娘から電話が掛かってきて「入院したので保証人になってほしい」と言われました。娘は乳癌でした。主治医からは「転移していて背骨が骨折しており、手術の必要がある。この先どうなるかはわからない」と宣告されました。
その時、私は「娘に法輪功を学ばせよう、そうすれば娘は良くなる」と思いました。でも、それは「娘だから当然、親の言うことは聞くはずだ」という、母親としての執着と傲慢さにすぎませんでした。
4人の子供は、法輪功には全く無関心でした。それに娘は薬剤師で漢方の勉強もしていたので、逆に私が修煉することを嫌がっていました。病室に『轉法輪』を持って行っても拒否され、法輪功の話は聞こうともしませんでした。しかも「お金がないから養ってくれ」と言われて、驚きました。娘は旅行でお金を使ってしまって、星占いや、タロット、御朱印などにしがみつき哀れなものでした。
私は、娘のことを心配して「法輪功を修煉すれば良くなるよ」と言いました。しかし娘は、主治医と安楽死の話までして、病気のことも、助けてほしいとの一言も言わずに、強がっていました。
突然、別れの時が来ました。娘に「お腹が痛いから救急車を呼んで」と言われ、娘はそのまま入院しました。鎮痛剤で意識が少しずつ薄れていく娘と、心を開いて話すこともできず、いまでも心残りで仕方がありません。
大事な我が子が最後まで心を開かなかったのは、私に慈悲心が足りなかったためで、もっと、優しく気づかってやるべきでした。何のために修煉してきたのか、これでは、とても恥ずかしくて修煉者だとは言えません。
娘の遺品を片付けながら、死後は何も持って行くことはできないと、つくづく思い知らされました。ただ一度、夢の中に娘があらわれました。「ここにいるの?」と尋ねると「うん」と答えました。がらーんとした部屋で、寂しげな表情でした。
これからは、善の心、慈悲の心を持って、人と接していきたいと思います。
(福岡県・篠原)